私は、
写真を撮るのが好きなのです。
いくつか持っているテーマの中に、「手」というものが私の中にはありまして、
色々撮りためています。(2009年8月13日の記事参照)
親子の手、カップルの手、友人同士の手、仲間の手、
一人の手…。
今回は、その中の3枚をご覧頂きたいと思います。
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私は、
写真を撮るのが好きなのです。
いくつか持っているテーマの中に、「手」というものが私の中にはありまして、
色々撮りためています。(2009年8月13日の記事参照)
親子の手、カップルの手、友人同士の手、仲間の手、
一人の手…。
今回は、その中の3枚をご覧頂きたいと思います。
訳あって、自転車仲間の自転車を預かっています。
自室に2台のTrekのバイクを並べて保管しています。
もう、幸せ過ぎる。
自分の自転車でも無いし、なんの思い入れもないですし、
別にコレクターでもないのですけれど…。
なんだかワクワクします。
先日、文化祭がありました。
私は自分のカメラを持参して、校内を歩き続けて色々な光景や、生徒の笑顔を撮り続けました。
以前から本校でお世話になっているプロカメラマンと少しお話する時間があったのですが、
「良いカメラをお持ちですね」と声をかけてきてくださいました。
カメラマン同士の、挨拶のようなもんです。
私のカメラはNikon製(ほんの少し良いやつ)。
そのプロカメラマンのカメラは、Canon製(プロ用の高級機)。
誰がどうみても、プロカメラマンのそれの方が「良いカメラ」に決まっています。
話を聞くと、どうもその人は根っからのNikon派だそうで。
仕事だから仕方なく(貸与品の)これ(Canon製品)を使っているけれど、
自分で自由にカメラを選べるなら、絶対Nikonを選びます。
と話してくれました。
プロならではの悩みですね…。
アマチュアにはアマチュアの強みと弱みが、
プロにはプロの強みと弱みがありもんです。
「先生、なんでいつも笑ってるんですか?」
ここまでは良かったんです。
色んな生徒がよくそう言ってくれて、嬉しく思ってるんです。
笑顔を心がけているので。
しかし
ある日
とある女生徒たちが、
「先生、なんでいつもそんな笑ってるん?なんか変なこと考えてるんちゃうん!」
と言ってきました。
笑顔を心がけていても、
こんな風に思われると(苦笑)
いや
それでも、私はスマイルでいきます。
今日は雨です。
窓の外の雨を眺めながら、紅茶やコーヒーを飲みつつ、
ラジオを聞いたり、本を読む。
なんと至福の時間でしょう。
こんな時間がずっと続けば良いのに。
ホームシックと言うのが正確な表現なのか不明ですが、
最近、イギリスへ帰りたいと思う事が増えました。
向こうでの暮らしが、かなり恋しいです。
イギリスにいた頃に、「日本に帰りたい」とここまで思った事はありませんでした…。
最近仕事で忙しかったり、悩んだりする事が増えてきたからかもしれません。
でもこれしきの事で逃げ出そうとしていては、
これからの長い人生やっていけそうにもありませんから、
ここが頑張りどころ、踏ん張りどころと捉えて前向きに進んで行こうと思います。
現実逃避なんてしている場合じゃない。
「こないだHinkを見かけたよ~」
と、水泳で一緒のオバサマ、、ではなくお姉様に言われました。
ええ!!
なんで声を掛けてくれないんですか~。
ってか、どこで見かけたと言うのですか!!
いつ、どこでという確認をしますと、それはどうやら間違いなく私でした。
そのお姉様はぼそっと「若い子と歩いてた」とおっしゃるのです。
あ、えっと、それは生徒です
私を会社勤めの人だと思っていたようです、お姉様方。
そういえば、自分の職業を知っている人はそこではごくごく一部のオジサマだけでした。
しかし、言ってもらえて良かったです。
ヒソヒソと「Hinkが女子高生と歩いてた」とか言われたら…。
と言いますと
「大丈夫よ、Hinkは若いんだから、そういうのも、いいじゃない、ねぇ~」とオバサマ方。
いやいや、、、大問題であります。
恐るべし、オバサマ方。 お姉様方。
以前のエントリー(2010年2月28日のエントリーを参照)でも書いたのですが、
やはり「説く」というのは大きな意味をもつのかもしれないと思っています。
用語では「訓話」というのですが、
多くの生徒には「雑談」と言われるのが悲しい所ではあります。
当然といえば当然だとは思うのですが、
「現代文」という科目名であれば、生徒は「現代文」を学ぶ覚悟で心構えをしまして、
「英語」ならやはり「英語」を学びに来るのです。
「あぁ、今日英語の授業がある」「今から英語の授業やなぁ」っと言うのは当然でしょうか。
でも、私の目指す所には
「あぁ、今日Hinkの授業がある」「今からHinkの授業か」
と、「英語」だけではなく、私自身から何かを学びとって欲しいと考えています。
「英語」という言語がひとつの手段であるように、
私にとっての「英語の授業」も教育のひとつの手段でしかありません。
こんな未熟者の若造から何を学ぶのだ とお思いになるのもまた当然ですが、
それでもなお、
それも今の私にしか出来ない授業や教育なのではないかとポジティブに考えます。
他の誰にもできない、私にしか出来ない授業を是非ともやりたいと考えています。
もちろん、指導要領や学校や学年方針には決して反しない形で。
それに、「英語」そのものを学ぶ事も、もちろん必要です。
自分のこういった思いや、人生や考え方を少し長めの時間をとって、授業中に話しますと、
話し終えた後に、クラスの中で拍手が起こりました。
卒業前の最後の授業とか、特別な時間をとっての学年集会や講話の時間でもなんでもないのに、
拍手をしてもらえた事、素直にとても嬉しかったです。
いつまでもアツイ情熱をもって仕事を続けたいものです。