塾講師、検定制度導入。

<塾講師>07年度から検定制度、人格面も 全国学習塾協会

 学習塾の業界団体である全国学習塾協会(本部・東京都豊島区)は、塾講師向けの検定試験制度を07年度に創設し、講師の倫理や行動規範についても評価基準に盛り込むことを決めた。京都府宇治市の学習塾で昨年12月、児童がアルバイト講師に殺害された事件を教訓に、講師選考に人格面の評価も取り入れ、資質向上をはかる。政府も制度構築を支援し業界全体に受験を奨励する考えだ。
 検定制度は、全塾協が厚生労働省の外郭団体の補助を受け05年春から準備を進めていた。当初は教科指導の技術向上が目的だったが、事件を受け、法令順守の意識など講師の資質が備わっているかチェックするよう大幅に見直すことにした。
 試験は全国の主要都市で全塾協が年数回実施。まず全塾協が策定した講師の「倫理綱領」や「行動規定」などをもとに半日の研修を行い、その後で研修の理解度や、学力、関係法令の知識を測る筆記試験を行う。
 さらに、受験者から自分の授業をビデオ撮影した映像の提出を求め、言葉遣いや、服装、態度などをベテラン講師らが採点。試験結果に反映させることも検討する。資格は1年で失効するようにして、定期的な研修と適性チェックを促す。
 全塾協は、加盟業者に講師を受験させるよう働きかけると同時に、非加盟の学習塾にも試験を開放する。塾業界を所管する経済産業省も受験を奨励する方針で、保護者の認知度も高め、業界全体の標準にしたい考えだ。
 全塾協は、学習塾経営に関する情報交換や、認知度向上を目的に88年に設立された社団法人。事件の起きた京進など、大手学習塾を含む約700業者が加盟している。【坂井隆之】

Yahoo!ニュース(毎日新聞) – 1月12日3時7分更新

塾講師が大学生が気軽に出来るバイトではなくなっていくようですね。


「気軽に出来る」
というと語弊があるかもしれません。

しかし、今まで得てきて既に持っている知識やテクニックを一番分かりやすい方法で
役立てられる仕事といえば、塾講師や家庭教師だと思います。

塾講師は、自分もそして相手も一緒に成長出来る素敵な仕事です。

確かに、、
確かに指導力が低かったり、人間的に幼かったりする講師はいます。
でもそういった人の多くは経験を通して成長していきます。

あるいは、本人が適性に欠けていると感じて、自ら辞めて行く事もしばしばあります。

問題は今回の様なパターンですね。
講師として熱心だけれども、人間性に欠陥がある場合。

果たして、こういった部分を検定試験ではかる事ができるのか。

今回の事件を例にとってみても、
彼は非常に熱心な講師だったということです。
「刑事政策と犯罪学」のゼミに所属。

関係者の話でも、暴力をふるう様な人ではなかったと…。

私の推測ですが、彼ならこの検定試験を突破しますよ。必ず。


検定試験が形だけの物にならない事を切に願います。

私はもうすぐ塾講師を辞める予定ではありますが、本音を言わせてもらうと
1年に1回、検定試験や研修を受けなければいけないのは面倒です(笑)

そうでなくても、会社が行う研修や会議は定期的なもので半年に一度。
校で行う会議は、定期的なもので月に一度あるのに。。。
負担が増えることによって、本当に良い人材を逃すことのないよう祈ります。

一方で、検定試験は一度受けて見たいですね。
どんな内容なのか、とても興味あります。
これで一応、誰にでも出来る訳ではない仕事になった訳で(今までもそうだったかしら)、
塾講師がある種のステイタスになったりするのかしら。

“塾講師、検定制度導入。” への 9 件のフィードバック

  1. 塾のお仕事って、夜は遅いし、重労働だと思う。
    やはり指導したいって思う気持がないと長く続かないのでは・・ でも 一筋縄ではいかないもんね 子供ってさ、
    HINKさん ガソリンスタンドも塾ももう終わりなんだねー 

  2. >とんこ
     コメントありがとうございます。
     一筋縄でいかないところにやりがいを感じます。
     いろいろ工夫して試行錯誤して、
     うまくいった時の喜び。
     生徒や親御さんに喜んでもらえたときの嬉しさや感動。
     素晴らしいですよ。
     そう、いろいろな意味で大きな節目になりますね。

  3. あぁ、こんなことになったんだね。
    打てば響くもんだなぁ。
    でも、こんなことしても何も変わんないと思うけどな。
    ちゃんと教員試験に合格した教師だって犯罪犯すんだから。
    やらないよりはやった方がいいってことなのかな・・・。
    少なくとも子どもを塾に預ける親御さんにしてみればこの方が安心できるだろうし。
    なんにせよ、ひろりんの言うとおり、形だけのものにならなければいいね。

  4. みんなの言う通り、形だけのものになるのを恐れます。
    しかも塾講師がステイタスとして認められる世の中とかありえないよ。
    そんなんじゃ昔の寺子屋や道場の意義すらなくなってしまうよ。

  5. >ペンギン
     コメントありがとうございます。
     確かに仰るとおり、教師だって大学で教職課程をとって、
     教員採用試験に合格してなるんですからねぇ。
     まぁ、ポイントは「人格面」もみるということで、
     多少の期待は寄せています。
    >Nao
     コメントありがとうございます。
     どうして「ありえない」のでしょうか。
     また、寺子屋等の意義に結びつくプロセスが今ひとつ理解できません。
     現に世の中、予備校講師等はステイタスがあると思います。
     学校の教員や、そこらへんの塾の講師、ともすれば大学教授よりも賢いかもしれない講師もいますから。
     頭よくて、お金も稼いでって、それがステイタスなのでは…。
     最もそこらへんの講師がお金を稼いでいるかと言えば、、、

  6. 「ありえない」という表現についてですが、曖昧な言葉を使用したのが語弊を招いてしまいました。
    申し訳ないです。
    ただし、statusについては、私が現在アルバイトをしている予備校では、講師は一年間に数千万円の給料があります。
    もちろんそれは学生ではなく、社会人としての職業であり、額面からしても名誉になると思えます。
    しかし、アルバイトをするために検定が必要なものとなる話は自分の中では聞いたことがありませんし、名誉になるとは私の場合、思えません。
    statusの定義にも因りますが、私のキャリアの中で誇りに思えるアルバイトではありませんでした。
    例えば、予備校講師をして就職活動に役に立った覚えは一度もないですね。
    (ごめんな、利益主義で。)
    確かにそこらの教師より上手い教え方ができたり、賢い人もいるだろうが、それは個人差も当然あるしね。
    ただ言うなれば、教師を目指す人々にとって予備校講師とは、
    現場に実際に足を踏み入れる前の準備段階としての練習に他ならないというメリットがあると思います。
    ですので、何を目標にするのかということに関して言えば、私の場合は自分の将来的な素養としては役に立つものが得られなかったと思います。

  7. >Nao
     コメントありがとうございます。
     「ありえない」という表現は決して曖昧ではないと思います。
     検定等一定の資格が必要なアルバイトは実際にあります。
     予備校講師をして就職活動に役立った覚えと仰っていますが、
     予備校講師の仕事していらっしゃったのですか?
     私は就職活動で役立つ事がステイタスとは考えません。
     個人差の話をすると、キリがありません。
     医師や弁護士だって個人差はあります。
     要はあれですね、naoさんの完全個人的な観点からの話で、
     プラス要素がなかったということですね。
     ところで、寺子屋等の意義に繋がる訳が未だにわからないのですけれど。
     私がお馬鹿なのでしょうか。

  8. 「塾講師は、自分もそして相手も一緒に成長出来る素敵な仕事」
    学生的子供な発言ですね。
    お金を払っている親ござんにしてみれば
    そんな中途半端な教師にわが子を任せたいと思うはずがない。
    君も親になってみればわかるでしょう。
    だから大抵の塾は教師が学生バイトであることを隠すのです
    君は模試自分の手術をする医者が
    「手術を通して自分も成長しそして相手の病も治る。医者って素敵な仕事」
    などと言っていたらどう思うの??

  9. どなたかはわかりませんが、コメントありがとうございます。
    このエントリーを書いた当時はまさしく学生でした。
    私の勤める塾では、当初から講師が学生であることは親御さんに伝えています。
    また、専任講師のもとで授業を受けていた生徒の保護者から
    「学生の講師の方が良い」という要望も何度も出ていますので、
    一概に学生アルバイト講師がダメだとは言い切れないのだと思います。
    私とあなた様との間で「成長」の意味のとらえ方に食い違いがあるのかもしれませんね。
    成長しない人、あるいは成長しようとしない人は好きません。
    何度となくこなした同じような手術で、たっぷりの自信があるのも結構ですが、
    そういった日常の事からも学べる事はあると思いますし、
    それが成長に繋がるのではないでしょうか。
    何度もこなした手術で自信もある、目を瞑ってもできる、
    もう学ぶことはない、というような精神の持ち主に手術はしてもらいたくありません。
    私はそう思います。

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