信念を持ちながら、柔軟な考えを持つってなかなか難しいですか。
私に妙なコダワリがあったり、頑固な部分も多々あるのは認めます。
でもそれは誰もが持っているものだと思います。
そんなのが全くないなんて、自我の問題に関わってくると思います。
そういうコダワリや頑固な部分も含めて、
落ち着いて少し離れた所から客観的に見てみると、
実はとてつもなく非効率であったり、理にかなっていなかったり、
時には非道徳的だったって事もあるかもしれません。
先ほど、同じ専攻のアジア系の方と話をしていました。
英語教育や学位論文のテーマについて話していたのですが、
どうもその人の視野や考え方が狭いように感じたのです。
10月から専門的に色々勉強・探究してきて、出した結論がそれなの?って思いました。
話は次に書く論文の話で、ボキャブラリーやライティングについて書こうと思ってるんだけど、
どう思う?という話でした。
まぁ、どう思う?って聞かれてもテーマが広すぎて、
その人がいったい何をどのように研究したいのかわかりませんでした。
その人は続けて、
「結局のところ、生徒は単語さえ覚えればいいの。何度も見直してね」
と言っていました。
目的は大学入試に合格するため。
「だってテストでその単語の意味が分からなかったら、テストが出来ないじゃん」
「推測能力があったとしても、試験中のプレッシャーや緊張でうまく機能しない。
だから、普段から沢山の必要な単語を覚える必要がある」
だそうです。
ということで、論文何書こっか?と…。 知らんがな(笑)
先行研究をいくつか紹介したりしたんですが、
「まぁそういう研究もあるかもしれないけどね、でも実際にはそうはうまくいかないでしょ」
と、言われてしまいました。
その人の書く論文の仕上がりが楽しみではあります。
私自身にも視野が狭かったり固執してる部分はあって、
実際先生方に指摘されたことがあります。
なかなか自分では気づきにくいものなのかなぁ…。
視野は広く、そして柔軟に多角的に物事を見て聞いて考えていけるようにしたいです。
そのためにも普段からなるべく多くの人の話を聞いて、そして自分の話を聞いてもらって、
意見してもらうのが効率的だと思います。
そして意見してもらったことを、これまた柔軟に解釈する必要があるのですね。
