軽い筋肉痛が太ももに残っていて、
今夜も課題が出ていましたので、今日は走りには出ないだろうなと思っていたのですが、
結局走りに出てしまいました。
なんか、悔しさや情けなさからくる意地というか、焦りというか……。
終盤は結構太ももがいたくて、以前の私なら歩いていたかもしれません。
初レースの記憶がよみがえりました。
初レースはナメテかかっていて、序盤は快調に飛ばしてたものの、結局終盤で足が痛くなり、
意地と根性で歩きはしなかったものの本当に苦しい思いをして、ゴールまで走りました。
当日は歩くのもしんどいほどの筋肉痛に襲われたことを覚えています。
っで、走りながら思ったんですよね、なんで走り続けるんだろうって。
このまま走り続けたら、それこそ歩けなくなるほどになるかもしれない。(大げさですけど)
なぜなのか、、、それは、以前に自分ができていたことだからです。
「出来る、走りきれる」っていう自信があるから、走り続けることができたのです。
私はマラソンやトライアスロンを教育とからめて考える事が多々あるのですが、
(そもそも、マラソンを始めた動機のひとつに教育的観点がありました)
今回の一件も教育に置き換えることができるのではないかと思います。
簡単に言いますと、子どもに「出来る」という自信を持たせることによって、
辛いときもしんどいときも、前向きに考えさせる事が出来るのではないかと。
踏ん張り時にただ単に「出来る!頑張れ!」っていうんじゃなくて、
前もって、その「出来るという自信」を持たせておくことが大切なんだと思います。
それは知識やテクニックだけを教えているだけでは、無理だと思います。
訓話や小テスト、フィードバック、あるいは普段の何気ない会話を通して、
そういった自信を育んであげることも、教育の一環だと思うのです。
また、苦しい部活動を通して、私と同じような事を思い、
しんどいときも苦しいときも、耐え時だと思って頑張る生徒もいることでしょう。
「数学が苦手」「暗記科目はちょっと…」「証明問題は無理」「幾何は難しい」
「長文読解はわからない」
こういった良く聞く悩みも、少しずつ小さな自信をつけていってあげることによって、
積み重なり、大きな自信へと繋がっていくのだと思います。
(自信過剰は危険だけれど、全く自信がないよりよっぽど良いような気がします)
私が現在集中講義を受けてる教室です。毎朝この教室までやってきます。